モルドバワインについて
モルドバワインについて
地域区分について
PGI Divin - ディヴィン地域 - モルドバ全域
「ワインから作られたもの(di Vine)」を意味するディヴィンは、ワイン由来の蒸留酒であり、モルドバ全域で製造が認められています。2回の蒸留を経てから、最低3年間大樽で熟成し作られます。
PGI Codru - コードル地域 - 中央部
首都キシナウがある中央部に位置し、葡萄畑の面積は国内最大(約61,200 ha)で、白葡萄が約70%を占めています。オークやリンデン、ブナ、カエデ、シナノキ等の森が地域の25%を占め、気候に影響を与えています。白ワインのほか高級赤ワインやスパークリングワインの栽培品種にも適した地域です。平均気温は10〜12℃、年間降水量は550〜600mm、平均日照時間は2,135時間/年。谷や渓谷や小さな川が多く、通気性の良い軽い土壌です。
PGI Stefan Voda - ステファン・ヴォダ地域 - 南東部
モルドバ南東の低地にあり、ニストル川沿いにある平野や丘陵地帯が含まれる地域です。1年を通し降水量が少なく、穏やかで日当たりの良い気候です。適度な大陸性気質で、黒海からの影響もやや強いです。赤も白も、香りや果実味の豊かなワインが造られるのが特徴です。年間降水量は450mm、平均日照時間は2,200時間/年。チェルノゼムとポドゾルという土壌が主となっています。
PGI Valul lui Traian - ヴァル・ルイ・トゥラヤン地域 - 南西部
ローマ帝国時代に建てられた2つのTrajan's Walls(トラヤヌスの城壁)の間にある地域。多くの谷や川、森や草原地帯が広がり、黒海とティゲチ丘陵の森林、プルート川の影響を受けている温暖で雨の少ない気候です。赤ワイン生産に特化した地域であり、リキュールワインでも知られています。年間降水量は350〜500mm。平均日照時間は2,500時間/年。主な土壌は、チェルノゼムとポドゾルです。
地域区分について
「ワインから作られたもの(di Vine)」を意味するディヴィンは、ワイン由来の蒸留酒であり、モルドバ全域で製造が認められています。2回の蒸留を経てから、最低3年間大樽で熟成し作られます。
首都キシナウがある中央部に位置し、葡萄畑の面積は国内最大(約61,200 ha)で、白葡萄が約70%を占めています。オークやリンデン、ブナ、カエデ、シナノキ等の森が地域の25%を占め、気候に影響を与えています。白ワインのほか高級赤ワインやスパークリングワインの栽培品種にも適した地域です。平均気温は10〜12℃、年間降水量は550〜600mm、平均日照時間は2,135時間/年。谷や渓谷や小さな川が多く、通気性の良い軽い土壌です。
モルドバ南東の低地にあり、ニストル川沿いにある平野や丘陵地帯が含まれる地域です。1年を通し降水量が少なく、穏やかで日当たりの良い気候です。適度な大陸性気質で、黒海からの影響もやや強いです。赤も白も、香りや果実味の豊かなワインが造られるのが特徴です。年間降水量は450mm、平均日照時間は2,200時間/年。チェルノゼムとポドゾルという土壌が主となっています。
ローマ帝国時代に建てられた2つのTrajan's Walls(トラヤヌスの城壁)の間にある地域。多くの谷や川、森や草原地帯が広がり、黒海とティゲチ丘陵の森林、プルート川の影響を受けている温暖で雨の少ない気候です。赤ワイン生産に特化した地域であり、リキュールワインでも知られています。年間降水量は350〜500mm。平均日照時間は2,500時間/年。主な土壌は、チェルノゼムとポドゾルです。
モルドバ固有品種の葡萄
モルドバで栽培されている葡萄品種は、西欧品種、コーカサス地方の品種、及びモルドバ固有品種が含まれます。
112,000haの葡萄畑のうち70%はコードル地域で栽培される白葡萄、30%が南部地域で多く栽培される黒葡萄であり、
現在は全体の約10%をモルドバの固有品種が占めています。
Rara Neagra
- ララ・ニャグラ
古代ダキア人により栽培されてきた、歴史的に大変古いルーツを持つ品種と言われています。作られたワインはフレッシュで柔らかく、果実味豊かな味わいが特徴。
時間の経過と共にドライフルーツの香りが現れます。ルーマニアやウクライナなどの周辺国では、国ごとの名称で呼ばれています。
Feteasca Neagra
- フェテャスカ・ニャグラ
数千年の歴史を持つ古代種で、プルト川の谷間に由来すると言われています。ソビエト時代に姿を消したものの、2000年代以降多くのワイナリーで植え替えが行われました。作られたワインはワイルドチェリーの豊かなブーケやスパイスやフルーツの香り、厚みのあるタンニンが特徴。オーク樽との相性も良く、熟成に向いた品種と言えます。フェテャスカ・ニャグラの意味は「黒い乙女」。
Feteasca Alba
- フェテャスカ・アルバ
何世紀にも渡りモルドバの歴史的な地域で栽培されてきた古代種と言われています。現在は中央地域と南部地域で育てられることが多く、モルドバではスパークリングワインの製造にもよく使用されます。作られたワインは果実や花のアロマがあり、軽くてフレッシュ、上品な味わいが特徴です。フェテャスカ・アルバの意味は「白い乙女」。
Feteasca Regala
- フェテャスカ・レガーラ
「高貴な乙女」という意味を持つ、ルーマニア原産の白葡萄。 作られるワインはエキゾチックで花やフルーツのフレーバーを持ちます。タンニンが比較的強くワインに複雑さをもたらすため、フェテャスカ・アルバよりもオーク樽の熟成に向いている品種と言えます。(長い間グラッサ種とフェテャスカ・アルバ種の自然交配種であると考えられてきましたが、近年の鑑定によると否定されています。)
Viorica
- ヴィオリカ
1969年に、キシナウ国立研究場でセイベルとアレアティコの交配により生まれた品種。「ヴィオリカ」はモルドバ人の多くの女性につけられる名前です。マスカット品種特有の強烈なアロマn、アカシアの花、ジャスミンの花、リンデンの花などの白い花の香りが特徴です。また、柑橘類、ライチ、若いリンゴ、砂糖漬けのアプリコット、タイム、バジル、などのドライハーブのタッチも感じることができます。
Alb de Onitcani
- アルブ・デェ・オニツカニ
アルブ・デェ・オニツカニは、モルドバ南東部の土着品種で、果皮の薄い白ブドウ品種です。フレッシュで軽やかな辛口の白ワインやスパークリングワインで有名な品種です。1970年にモルドバで、育種家のD.D.Verderevskiiによって、ギュルヤビ・チル×(ピエール×セヤネツ244)の交配で作られた比較的新しいブドウです。アルプ・デ・オニツカニは、しばしばルカツィテリにブレンドされ、モルドバで最も好まれる軽めの白ワインのひとつとなっている。酸の多い晩熟の品種で、草木や花や柑橘類のアロマを、際立った酸やミネラル感とともに示す。この品種は主にコドルのワイン生産地で栽培されており、モルドバ国外では見られない品種です。
モルドバ固有品種の葡萄
モルドバで栽培されている葡萄品種は、西欧品種、コーカサス地方の品種、及びモルドバ固有品種が含まれます。
112,000haの葡萄畑のうち70%はコードル地域で栽培される白葡萄、30%が南部地域で多く栽培される黒葡萄であり、
現在は全体の約10%をモルドバの固有品種が占めています。
古代ダキア人により栽培されてきた、歴史的に大変古いルーツを持つ品種と言われています。作られたワインはフレッシュで柔らかく、果実味豊かな味わいが特徴です。
時間の経過と共にドライフルーツの香りが現れます。ルーマニアやウクライナなどの周辺国では、国ごとの名称で呼ばれています。
数千年の歴史を持つ古代種で、プルト川の谷間に由来すると言われています。ソビエト時代に姿を消したものの、2000年代以降多くのワイナリーで植え替えが行われました。作られたワインはワイルドチェリーの豊かなブーケやスパイスやフルーツの香り、厚みのあるタンニンが特徴。オーク樽との相性も良く、熟成に向いた品種と言えます。フェテャスカ・ニャグラの意味は「黒い乙女」。
何世紀にも渡りモルドバの歴史的な地域で栽培されてきた古代種と言われています。現在は中央地域と南部地域で育てられることが多く、モルドバではスパークリングワインの製造にもよく使用されます。作られたワインは果実や花のアロマがあり、軽くてフレッシュ、上品な味わいが特徴です。フェテャスカ・アルバの意味は「白い乙女」。
「高貴な乙女」という意味を持つ、ルーマニア原産の白葡萄。 作られるワインはエキゾチックで花やフルーツのフレーバーを持ちます。タンニンが比較的強くワインに複雑さをもたらすため、フェテャスカ・アルバよりもオーク樽の熟成に向いている品種と言えます。(長い間グラッサ種とフェテャスカ・アルバ種の自然交配種であると考えられてきましたが、近年の鑑定によると否定されています。)
1969年に、キシナウ国立研究場でセイベルとアレアティコの交配により生まれた品種。「ヴィオリカ」はモルドバ人の多くの女性につけられる名前です。
アルブ・デェ・オニツカニは、モルドバ南東部の土着品種で、果皮の薄い白ブドウ品種です。フレッシュで軽やかな辛口の白ワインやスパークリングワインで有名な品種です。 1970年にモルドバで、育種家の D.D.Verderevskiiによって、ギュルヤビ・チル ×(ピエール ×セヤネツ 244)の交配で作られた比較的新しいブドウです。酸の多い晩熟の品種で、草木や花や柑橘類のアロマを、際立った酸やミネラル感とともに示す。この品種は主にコドルのワイン生産地で栽培されており、モルドバ国外では見られない品種です。
モルドバワインの歴史
紀元前 5,000年〜紀元 1世紀頃
考古学的遺物によると、現在のモルドバがある地域では約5千年前よりダキア人(トラキア人)がワイン作りを行なっていたと言われています。
イリアッドの古い詩(紀元前8世紀)には、「ギリシャの戦士がワインを見つけるためにトラキアに行った」と記されています。ローマ人がこの地域を征服した1世紀頃には、豊かな伝統を持った葡萄栽培とワイン醸造文化を発見し、ワイン産業の発展を続けました。
考古学的遺物によると、現在のモルドバがある地域では約5千年前よりダキア人(トラキア人)がワイン作りを行なっていたと言われています。
イリアッドの古い詩(紀元前8世紀)には、「ギリシャの戦士がワインを見つけるためにトラキアに行った」と記されています。ローマ人がこの地域を征服した1世紀頃には、豊かな伝統を持った葡萄栽培とワイン醸造文化を発見し、ワイン産業の発展を続けました。
中世時代、ステファン大王が統治していた15世紀頃にワインの開発は最高レベルの域に達したと言われています。 新しいブドウ品種が持ち込まれ、土着品種が選別され、ワインセラーが建設されるなどし、ワイン製造の技術は大きく発展しました。 また修道院がワイン造りの中心となったことで、ワインは宗教的象徴となりました。
オスマン帝国による征服後もモルドバはワイン生産を続け、18世紀に書かれた書物「Description of Moldova」には、この地におけるワイン生産が経済的に重要であったことが記されています。
当時、モルドバの要塞はトルコ人とタタール人の侵略者を防ぐための重要なポイントでした。食料や水もなくソロカ要塞で捕らえられ、衰弱した兵士たちが、ブドウの房を運んでいるコウノトリの群れによって救われた伝説が生まれたのも、この時代です。
1812年にベッサラビアがロシア帝国に併合された後、ワイン造りは貴族とロシア軍の将軍の大きな利益となりました。 フランスから著名な専門家を招き、選別された品種を持ち込み、優れた可能性を持つワインのマイクロゾーンが開発されました。 モルドバワインは有名になり、1878年にはパリの国際品評会会で「ネグル・デェ・プルカリ」が金メダルを獲得。その後、ロシア皇室やヨーロッパの貴族たちのワインリストに含まれるようになりました。
1837年、ベッサラビアはロシア帝国で作られるワインの半分である年間1,000万リットルのワインを生産していました。 19世紀の終わり、フィロキセラの流行でワインが不足する中、モルドバのワインはヨーロッパに積極的に輸出されました。また、葡萄栽培とワイン醸造を学ぶ高等教育機関である「スタウセニ国立大学」が開設されました。
2度の世界大戦と革命により、ワイン製造の発展は遅れをとりましたが、ソビエト連邦ではモルドバが最大のワイン生産地となりました。 1960年代には地下のワインギャラリーが設立され、数百キロメートルにわたる道路のある地下都市に、約30万hlのワインと何百万ものワインボトルのコレクションが保管されるようになりました。
1980年代、ミハイル・ゴルバチョフの反アルコールキャンペーンによって、葡萄畑や醸造場は大きなダメージを受けましたが、1991年にモルドバが独立した後、ワインづくりは復活し、近代化を開始しました。
2006年から2011年の大きな危機の後、モルドバのワインセクターは高品質のワインの生産、市場の多様化、産業の近代化に重点を置いていました。近年、国内のワイン法が改正され、近代化への投資のために7,500万ユーロが集められました。保護された地理的表示を持つワインの生産のために4つの地域が設立されました。
中世時代(15世紀頃)
中世時代、ステファン大王が統治していた15世紀頃にワインの開発は最高レベルの域に達したと言われています。新しいブドウ品種が持ち込まれ、土着品種が選別され、ワインセラーが建設されるなどし、ワイン製造の技術は大きく発展しました。また修道院がワイン造りの中心となったことで、ワインは宗教的象徴となりました。
オスマン帝国による征服後もモルドバはワイン生産を続け、18世紀に書かれた書物「Description of Moldova」には、この地におけるワイン生産が経済的に重要であったことが記されています。
当時、モルドバの要塞はトルコ人とタタール人の侵略者を防ぐための重要なポイントでした。食料や水もなくソロカ要塞で捕らえられ、衰弱した兵士たちが、ブドウの房を運んでいるコウノトリの群れによって救われた伝説が生まれたのも、この時代です。
近代(19世紀頃)
1812年にベッサラビアがロシア帝国に併合された後、ワイン造りは貴族とロシア軍の将軍の大きな利益となりました。フランスから著名な専門家を招き、選別された品種を持ち込み、優れた可能性を持つワインのマイクロゾーンが開発されました。モルドバワインは有名になり、1878年にはパリの国際品評会会で「ネグル・デェ・プルカリ」が金メダルを獲得。その後、ロシア皇室やヨーロッパの貴族たちのワインリストに含まれるようになりました。
1837年、ベッサラビアはロシア帝国で作られるワインの半分である年間1,000万リットルのワインを生産していました。19世紀の終わり、フィロキセラの流行でワインが不足する中、モルドバのワインはヨーロッパに積極的に輸出されました。また、葡萄栽培とワイン醸造を学ぶ高等教育機関である「スタウセニ国立大学」が開設されました。
近現代(20世紀〜21世紀)
2度の世界大戦と革命によりワイン製造の発展は遅れをとりましたが、ソビエト連邦ではモルドバが最大のワイン生産地となりました。1960年代には地下のワインギャラリーが設立され、数百キロメートルにわたる道路のある地下都市に、約30万hlのワインと何百万ものワインボトルのコレクションが保管されるようになりました。
1980年代、ミハイル・ゴルバチョフの反アルコールキャンペーンによって、葡萄畑や醸造場は大きなダメージを受けましたが、1991年にモルドバが独立した後、ワインづくりは復活し、近代化を開始しました。
2006年から2011年の大きな危機の後、モルドバのワインセクターは高品質のワインの生産、市場の多様化、産業の近代化に重点を置いていました。近年、国内のワイン法が改正され、近代化への投資のために7,500万ユーロが集められました。保護された地理的表示を持つワインの生産のために4つの地域が設立されました。